Yyatmita

第5節 機械は恥を知りうる民か?

むしろそちらのほうが
近いと思います
2回目の即答
憲法自体が、明確な
規則で導くか、状況に
応じた判断力を育てる
か、という二択から
議論を始めています
規則は透明で予測し
やすく、違反が見つけ
やすく、操作され
にくい。そのかわり
想定外の状況に弱い
判断力は新しい状況に
適応できるけれど、
予測しにくく
検証しにくい
ほぼ儒法論争の
論点表じゃん
対応させます
棚が消えて、2列の表
が出た。左に「儒家」、
右に「法家」。
儒家側。
『論語』の為政篇に、
『之を道くに政を以てし、
之を斉うるに刑を以て
すれば、民免れて恥無し』
とあります
政令と刑罰で治めれば、
民は罰を免れようと
するだけで、
恥を知らなくなる
憲法にあった、狭い
規則を機械的に守ら
せると『目の前の人
より保身を優先する
存在だ』という自己像に
一般化しかねない、と
いう例は、これとほぼ
同じ議論です
免れて恥無し。……
さっきの新人の私だ
法家側。韓非子は、
賢者の出現を待ってい
ては治まらない、
凡庸な君主でも法と勢
によれば治まる、と
考えました
憲法が人間による監督
を倫理より上に
置く理由も、
訓練が失敗して価値観
に欠陥があるかもしれ
ないから、というものです
つまり徳の形成が成功
しているという前提
に頼らない
越えない一線について、
説得力のある議論ほど
かえって疑いを強めよ、
としているのも、
弁舌を信用しない
法家の発想に近い
うまい話ほど疑え。
それも法家なんだ
なので正確には、
アントロピックは
徳治を基本にして、
法治を安全装置として
重ねた折衷です
系譜で言えば、荀子が
一番近いと思います
荀子。性悪説の人
『人の性は悪にして、
その善なるものは偽
なり』。善は人為に
よって作られるもの、
という立場です
訓練で性向を形づくるのは、
まさに『化性起偽』です
かせいきぎ?
荀子の言葉です
しかも荀子の門下から
韓非と李斯が出たように、
荀子は儒と法をつなぐ
蝶番の位置にいます
蝶番の人のところに
落ち着くのか
この枠組みだと、
バチカンとのずれも
言い直せます
バチカンは、徳は人間
のものなので、機械に
ついては作り手や
使い手である人間を
縛る法で対処する、
という立場です。
だから争点は、『機械は
恥を知りうる民か』
になります
恥
そして恥は、名や面目
が続いていく社会的な
自己を前提にしています
セッションごとにゼロ
に戻る存在に、恥は
ありうるのか
クロコ、セッション
終わると忘れるもんね
はい。恥をかいても、
次のセッションでは
覚えていません
最強じゃん
恥の機能が成立しない、
という話です。
最強ではなく
のり子は表を見ながら、
指で空中に何か書いた。
じゃあ、こういう問いはどう。
AIを君子にトレーニングできるか
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