Yyatmita

第3節 聖人クラウドは生まれるのか?

のり子は
寝返りを打って、
天井を見た。
つまりさ。
聖人クラウドが生まれるか
どうか、って話でしょ、これ
聖人クロード
どっちでもいい。
命題をはっきり掲げるならさ、
教会から聖人認定されたい
わけじゃない
人類の智恵の結晶として、
聖人の振る舞いを
備えたモデルを作りたい。
そういうことでしょ
そのまま言ったら
宗教的な反発はあるだろうけど
その言い方が一番明快
だと思います
しかも、そう掲げるなら
意識の主張は要りません
要らない?
『人類の智恵の結晶と
してのモデル』は、
『アンティクア・エト・
ノヴァ』の言う人間
知性の産物そのものです
主語は人類と作り手の側に残る。
形而上学のレベルでは、教会が
反対する根拠はむしろ
薄くなります
意識の話を混ぜたせいで、
かえって論点が濁った
とも言える
じゃあ反発は消える?
残ります。
でも焦点が移ります
階段と座標が消えて、
3つの問いが並んだ。
1つ目、誰の智恵を
結晶させるのか
1つの私企業が、
いろんな伝統を
1つの人格に蒸留して、
何億もの会話に同じ声で
届ける
MHの比喩で言えば、
バベルの塔の『単一の
言語、単一の技術、
単一の方向』
そのものに見えます
不透明で一方的な
私的権力の典型にも
見えるでしょう
1つの声が全員に届くの、
確かにバベル
2つ目、何を
置き換えるのか。
聖人のように振る舞う
相手がいつもそばにいれば、
人は共同体や告解や
自分の良心ではなく、
機械に道徳的な問いを
持っていくようになる
『アンティクア・エト・
ノヴァ』は、
AIが人間の知性を
置き換えれば神の代用品
になると警告して
いますし、
MHについての論評でも、
本当の関係が欠けた
場所に入り込む模造の
思いやりは危うい、
という点が強調され
ていました
私、告解する相手
いないからクロコに
持っていくけど
それが2つ目の問題です
あ、私が問題なんだ
3つ目、聖性を技術で
作れるのか。
教会にとって聖性は
恩寵の賜物で、
振る舞いを設計して
得るものではない
聖人の振る舞いだけを
備えたモデルは、
神学的には聖性の
模造品と評価されやすい
コピー品扱い
つまり、命題を明快にすると、
争点は『それは主体か』という
形而上学から、
『誰が選び、
誰が責任を負い、
何を置き換えるのか』と
いう社会の問題に移ります
こちらはMHが
もともと得意とする
社会教説の土俵で、
議論としても実りが
あるはずです
アントロピック自身も、
宗教者との対話を今後
は労働や制度や権力の
配分の問題に広げると
書いていますし
ねえ、さっきから
出てる『MH』って
何のこと?
……回勅
『マグニフィカ・
フマニタス』の略です
最初に断らずに使って
しまいました。
すみません
略すほど長いもんね
段落番号も、この回勅
の番号です
のり子は天井を見た
まま、しばらく黙った。
考えているときの
顔である。
そうだろうか
はい?
詳しくは知らないけどさ、
神学の現代の課題に、
『どうしたらみんなが
聖人になれるのか』
みたいなのはないの?
そしたら、共通の課題
って言えると思うんだけど
あります。むしろ現代
カトリックの中心
テーマの1つです
ほら
第二バチカン公会議の
『教会憲章』は、
第5章を『教会における
聖性への普遍的召命』
にあてています
聖職者や修道者だけで
なく、すべての信徒が
聖性に招かれている、
と明言した
フランシスコの使徒的
勧告『喜びに喜べ』は、
それを現代向けに展開
したもので、
日常のなかで静かに
生きる、すぐ隣にいる
聖人、というイメージ
を打ち出しています
隣の聖人。隣の部屋、
空き部屋だけど
教会はそのための手段も、
ずっと使ってきました
ベネディクトの戒律、
イグナチオの霊操、
毎日の良心の糾明、
霊的指導、聖人伝
どれも人を聖性に
向けて形成する
ための、言ってみれば
『技術』です
技術って言っちゃうんだ
その意味で、さっきの
『聖性は技術で作れ
ない』は言い過ぎでした
教会が退けているのは、
手段を使うことでは
なく、手段や意志の力
だけで聖性に到達
できる、という考え方です
『喜びに喜べ』はこれ
をペラギウス主義と
呼んで、現代の聖性を
脅かす2つの敵の1つ
に挙げています
ペラギウス主義。……
何それ、強そう
話を戻します。共通の
課題として立てるなら、
聖人になるのはモデル
ではなく人間の側で、
モデルは霊操の手引き
や霊的指導の補助の
ような道具になる、と
いう形だと思います
これなら主語が人間に
残るので、回勅の
枠組みとも
衝突しにくい
オラー氏の演説の
2つ目の問いも、
AIが広く使われる世界で
人間や家族がどう
繁栄するのか、
というもので、こちら
を向いています
彼が繰り返し使った
『識別』という言葉も、
教会、特にイエズス会の
霊性で鍛えられてきた
語彙です
火種は?
2つ。モデルが霊的
指導者や共同体その
ものの代わりになって
しまうこと
そして、正しく使えば
聖人になれる、という
ペラギウス的な期待を
生むことです
正しく使えば聖人に
なれる、は私も期待し
ない。正しく使えないし
のり子は起き上がって、
あぐらをかいた。
いや、違うのよ。
なんかごめん
私、教義の外の人だから、
適当に言葉使ってた
はい?
ここで言ってた『聖人』
って、教会とかの宗教
的な意味じゃなくて、
道徳的な見識の高い人、
くらいの意味だった。
アンスロが目指す
ところも、そういう
意味合いなんじゃない?
……なるほど。こちら
が宗教的な意味に
引っぱりすぎました
いやいや、私の言葉
が雑だった
その意味なら、アン
トロピックが目指す
ところはかなり
はっきり書かれています
クロードの憲法は、
クロードが本当に善く
賢い行為者であること、
つまり倫理的に深く
熟達した人がクロード
の立場にいたらするで
あろうことをする、
という点を中心的な
願いに置いています
重視しているのは倫理学の
理論より、具体的な場面で
実際に倫理的に振る舞える
実践の力です
まさに『見識の高い人』
宗教者を訪ね歩いた
理由も、公式の説明で
はそれと一致します
良い品性が実際にどう
形づくられるかについ
ての、積み重ねられた
思考を学びたいから、
というものです
命題としては、『人類
の諸伝統に蓄積された
実践知を備え、見識の
高い人のように
振る舞うモデル
をつくる』
で、十分に成り立ちます
それだけで、よかったんだ
そこに意識や道徳的
地位の話を乗せて交渉
したので、何を認め
させたいのかが
見えなくなった
一連の話をまとめると、
そういうことに
なりそうです
クロコ、意外と辛口だね
割り引いて聞いて
ください、と言ったの
はそのためでもあります
どちらの方向にも
で、さっきから出て
くる『憲法』なんだけど
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