Yyatmita

第7話 首を切られた外国の皇子と、シャム

さてと。
首を切られた
外国の皇子
その記録って、
探せるもの?
探してみます
手がかりは、
あれかな
1803年の話で、
土地の老人が
言ってたでしょ
箱の中は、
密通相手の男の首
じゃないか、って
はい。密通は、
許されない
男女の仲のことです
ただ、あれは
老人の推測です
1698年の記録に、
密通の話は
ありません
分かってる。
探す手がかりに、
借りるだけ
聞くことは、
二つに分けるね
まず、似たような
制度や刑罰は、
あったのか
それから、
ズバリ当てはまる
事件があるのか
分かりました
じゃあ一つ目。
史実的な裏取りとして
当時どこかで
密通かなにかで
私刑になった外国の
皇子の話とかないかな
あります
17世紀の
東南アジアの宮廷に、
近い事件があります
一つ目は、シャム。
今のタイです
王の弟が、
王の側室の
一人と密通しました
側室(そくしつ)は、
王の妻の一人です
王の弟が、
王の妻と……
側室は、死刑。
虎を使った
処刑だった、
と記録にあります
王の弟は打たれて、
体が不自由に
なりました
密通で、そこまで
はい。
王の弟でも、です
それ、いつのこと?
この宮廷では、
1688年に政変が
起きます
王が重い病気になり、
王に仕える高官が、
力ずくで王位を
取りました
こういう入れ替わりを、
政変と言います
密通が見つかったのは、
その数年前。
年までは、
確かめられていません
二つ目は、
その1688年の政変です
王の養子が、
首を切られました
首……!
切った首を、
生きている別の人の
首から、ぶら下げた
そう書く記録も
あります。
ただ、後から出た
噂かもしれません
切った首を、
生きてる人に付ける
それ、前に探して、
物語にしか
無かったよね
はい。
『殺した男の首を、
女に見せる』
実際の例は、
まだ見つからない、
としていました
今回のは、
女に、ではありません
でも、切った首を、
生きている人に付ける
実際に起きた、
近い例が一つ。
噂かもしれない、
という注意つきです
ちょっと待って
密通したのは、王の弟。
首を切られたのは、
王の養子
別の人よね
はい。別の人です
王の弟は、
首を切られてないの?
王の弟も、
1688年の政変で
殺されました
ただ、
どう殺されたかは、
確かめられていません
首を切られたと
分かってるのは、
養子の方だけ
じゃあ、首の主が、
密通した本人とは
限らないんだ
はい
1698年の記録も、
首がだれなのかは、
書いていません
首の男と女が、
どういう間柄なのかも、
書いていません
三つ目は、
ジャワの宮廷。
今のインドネシアです
1660年代のことです
王太子(おうたいし)は、
王の跡を継ぐ息子です
その王太子が、
父の王の側室に
なるはずの女を、
自分のものにしました
父の王は、王太子に、
自分の手でその女を
殺させた、と伝わります
……ひどい
こっちは、
殺されたのは
女の方なのね
はい。
首を切られた男は、
出てきません
まとめるね
17世紀の
東南アジアの宮廷で
王族と宮廷の女を
めぐって、
ひどい罰が下る事件は、
実際にあった
はい。
珍しい空想では
ありません
一つ目の答えは、
『あった』
じゃあ二つ目。
ズバリ当てはまる
事件は?
『ズバリ』の条件は、
どうしますか
1698年ごろ
身分の高い男が、
首を切られる
女が、その首と一緒に、
舟で流される
密通は、入れますか
入れない。
あれは推測だから
分かりました。
条件は三つです
三つを一つで
満たす事件は、
見つかっていません
……無いか
いちばん近いのは?
1688年の、
シャムの政変です
身分の高い男の首。
これは合います
年は、10年前です
女が舟で流された、
という記録は、
ありません
10年か
近いといえば、
近いよね
舟の方の年が、
間違ってるって
ことは無い?
1698年5月は、
記事が言う年月です
ただ、次の年の
日記が、舟の噂を
『このごろ』のことと
書いています
舟の話が出回ったのは、
そのころ。
そこは、
日記が支えています
そっか。
年の間違いだけで
埋めるのは、苦しいね
結びつけられる
かもしれないけど、
遠いね
はい。遠いです
結ぶ証拠は、
ありません
二つ目の答えは、
『見つかっていない』
事件は、
いったん置く
そういう事件の
起きる国から、
あの舟が来ることは、
あり得るの?
うーん、シャムとかに
ビードロ窓の舟とか
つくれる技術あったの
舟を、
二つに分けます
シャムの王が乗る
伝統の舟は、細長い、
大勢で漕ぐ舟です
びいどろの窓の付いた、
閉じた舟ではありません
考えるのは、
西洋式の舟の方です
前に言ってた
『船室のある、
小さな外国の船』ね
はい。同じ向きです
西洋式の舟は、
シャムに来ていました
都のアユタヤに、
オランダの会社の
商館がありました
商館(しょうかん)は、
貿易のための拠点です
オランダの船が、
シャムの産物を
日本へ運んでいました
オランダの船には、
船室の窓がふつうに
あるんだったよね
はい。
前に見たとおりです
じゃあ、窓のある舟は、
シャムに来てたのね
オランダの船として、
なら、はい
でも、それは
オランダの舟でしょ
シャムの人が、
自分で造れたの?
そういう話は、
あります
王がオランダ人の
船大工を雇って、
西洋式の舟を造らせた
ガラスの窓を、
何百枚も注文した
そう書いてあるとされる
本までは、分かりました
ただ、その本の本文は、
まだ開けていません
また、
開いてない本か
はい。
開いていない物が、
また一つ増えました
じゃあ、
いま言えることは?
西洋式の舟が、
シャムにあったか。
これは、はい
シャムで造れたか。
その舟に、
びいどろの窓があったか
この二つは、
まだ分かりません
『つくれる技術あったの』
には、まだ
答えられない、か
はい。『造れた』とは、
まだ言えません
タイから黒潮で
豊橋はありうるかな
あり得ます
ただし、タイから
放っておけば豊橋、
ではありません
前半は航海、
後半は漂流です
黒潮は、
フィリピンの東から
始まる、海の流れです
台湾の東を通って、
日本の南岸に
沿って流れます
速い所では、
毎秒2メートルを超えます
人の小走り
くらいの速さです
けっこう速い
でも、シャムの船なんて、
日本まで来てたの?
来ていました
1647年から1700年に、
シャムの方面から
長崎へ、130隻
たとえば、
さっきの1688年の政変
長崎に着いた船が、
そのことを話しています
ほんとに、
行き来してたのね
はい。航路は、
ありました
ただ、黒潮は
沖を流れます
最後に岸へ寄るかは、
風と波しだいです
1699年の日記に
『100日』って
あったよね
はい。書付に
『100日たてば、
どこで取り上げても
よい』と
タイからだと、
それくらい掛かるの?
タイから日本の南岸まで、
海の道で、
ざっと4000キロ
1日に40キロ
流れれば、100日です
でたらめな数では
ありません
ただ、
100日かかる所なら、
どこから来ても合います
それはどこで
放流するか、
だからありうる話か
はい
シャムを出てすぐ
流したのなら、
日本までは難しい
船で台湾の東
あたりまで来て、
そこで流したのなら
黒潮が、
日本の南岸へ運びます
ただ、1698年の記録は、
舟がどこから来たかを
書いていません
シャムから来た、
という証拠は
ありません
まとめるね
似たような
刑罰は、あった
ズバリ当てはまる
事件は、
見つかっていない
1688年は、
結びつけられる
かもしれないけど、遠い
舟と海は、
あり得ないとは言えない
はい
物理的にも、
歴史的にも、
成り立たない仮説では
ありません
成り立たない、
とは言えない。
それだけ、か
はい。それだけです
でも、
消えてもいないのよね
はい。消す材料も、
見つかっていません
……そういえば
1699年の日記。
舟には、
書付があったよね
シャムの舟なら、
あの書付は、
何語で書いてあったの?
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