Yyatmita

第5話 車塚は、どこにあるのか

車神社の
言い伝えでは、
埋められたのは
貴人って
言ってたよね
埋められたとされるのは
『貴人』ではなく
『車』です
え?
待って。
車神社の話、
もうあやふや
どの本に、
何て書いてあったっけ。
もう一回見せて
はい。車神社について
読めた資料は、
四つです
いちばん古いのは、
1693年ごろの記録
吉田領の神社と寺を、
書き上げたものです
『車大明神』という
神社の名と、神主の名。
それだけです
次が、1935年の案内記。
豊橋のあたりを
案内する本です
神様は船で来た。
嵐で船がひっくり返った
そこを、魚のフグに
助けられて上陸した、
という話です
フグ。そうだった
だから村の人は
フグを食べない、
と続きます
神社の名は、古墳の
呼び名『車塚』から
来たのだろう、
ともあります
三つ目が、
1981年の事典。
地名の事典です
こう書いています。
社伝に、
725年の創立という
また口碑に、
満潮の夕方、
貴人がうつぼ舟に
乗って上陸した
貴人の名は、
正仁明神
のちの人が、
その貴人の霊を祀って、
車大明神と呼んだ
社伝は、
神社が伝える由来。
口碑(こうひ)は、
土地の言い伝えです
うつぼ舟が
出てくるのは、
この事典ね
四つ目が、
1992年の名鑑。
県内の神社の名鑑です
『車を埋めた処を
車塚という』
最後に、土台です。
神社は、500年ごろの
古墳の上に建っています
で、埋められたのは、
どっちなの
埋められたのは車、
とする資料があります。
1992年の名鑑です
これに対して、
祀られたのは貴人の霊、
とする記述もあります
こちらは、
1981年の事典です
『貴人を埋めた』
と書いた資料は、
ありません
埋めたのは車で、
祀ったのは貴人
私、二つを
混ぜて覚えてた
はい
じゃあ、その
『車を埋めた』から
見ていこう
二つの文を、
一枚に並べます
貴人は舟で来たのに、
突然『車』が
登場します
これは結構
変な話です
たしかに。
舟の話だったのに
言い伝えの中でも、
うつぼ舟と車は、
別のものです
もう一つ。二つの文は、
隣り合っているだけです
『車を埋めたから、
貴人を祀った』とは、
書いていません
『車塚に貴人を葬った』
とも、書いていません
つながってる
ように読んでた
そもそも
『車塚』って、何
『車塚』という
名の古墳は、
豊橋だけではありません
全国各地に、
たくさんあります
前方後円墳。
丸と四角をつないだ形の、
大きな墓です
その形を、
車に見立てた呼び名が
『車塚』です
形の名前なのね
はい。車が埋まって
いるから車塚、
とは限りません
しかも『車を埋めた』
という話まで、
あとから付きます
京都の車塚を、
江戸時代の土地の本で
追った研究があります
最初の説明は『形が
車のようだから車塚』
それが、
あとになると
『天皇の車を埋めたので
車塚』に変わります
京都の物集女(もずめ)
車塚古墳。
6世紀の古墳です
ここに『9世紀の天皇の
棺を運んだ車を埋めた』
という話があります
6世紀の古墳に、
9世紀の車。
300年も合わない
これは、豊橋の話と
非常によく似ています
1935年の案内記は、
古墳の呼び名が先でした
1992年の名鑑は、
車を埋めたから車塚。
向きが逆です
『車を埋めた』は、
名前を説明するために、
あとから付いた
豊橋でも、
まずその可能性を
考えるべきです
前にも、
そう言ってたね
ただ、一点だけ、
豊橋は普通の
車塚と違います
1693年ごろの記録に、
もう『車大明神』
という名があります
古墳の呼び名から
神社の名が付いた、
だけでは
説明しきれません
ここはまだ謎です
どこに
埋めたかわかる?
かなり絞れます。
しかも、
面白い事実が出ました
『車塚』という地名が、
今も本当に残っています
字(あざ)といって、
町の中の小さな
区切りの名です
車神社があるのは、
別の字です
神社と車塚は、
場所が違うの?
土地の歴史の本は、
古墳を二つ書いています
車神社の下の古墳と、
『車塚古墳』。
別の古墳としてです
一方、
1935年の案内記は、
神社の下の古墳を
『俗称車塚』と書きます
つまり、『車塚』と
呼ばれる古墳が、
二つあることになります
車を埋めたのは、
どっち?
現段階では、
どちらとも決められません
私は『神社の下の古墳が、
言い伝えの車塚』と
単純に扱っていました
これは
修正が必要です
『車を埋めた場所は
神社の真下』とは、
もう言えません
未発掘の
古墳はないの
まだ掘られていない
古墳を、一つ名指しする
所までは、
できませんでした
ただ、
土地の歴史の本に、
気になる一行があります
『車塚古墳の南に、
もう一基の古墳が
あったといわれている』
今もあるのかは、
分かりません。
『残っている』とは、
まだ言えません
神社の下の古墳は?
掘り尽くされたの
いいえ。1885年に
本殿を建て直すとき、
一部を削っただけです
そのとき偶然、
古墳に納めてあった
品が出ました
じゃあ発掘結果から
調べてみて
1885年に出たのは、
これです
鈴の付いた
馬の飾りが三つ。
赤いガラスの
勾玉(まがたま)が一つ
ほかに、玉の飾り、
鉄の大刀、
焼き物の器
どれも5世紀の後半から
6世紀の前半。
古墳の時代の物です
車は?
車輪も、車の軸も、
出ていません
馬の飾りは出ましたが、
車の部品ではありません
その後、ちゃんと
発掘調査も
されています
1968年。
社殿の建て替えに
合わせた調査です
報告書は2003年に
出ています。
本文は、
まだ開いていません
そっちは、
まだ読めてないのね
それから、
全国文化財総覧の、
この古墳の項です
1968年の調査で
出た主な物として、
こう登録されています
『近世祭祀用具』
近世は、おおよそ
江戸時代。祭祀は、
神をまつる
儀式のことです
古墳の時代じゃない
物が、混ざってるのね
はい。何が、
どこから出たのかは、
この登録だけでは
分かりません
で、車を埋めた跡は、
あったの
それを見るには、
いつ埋めたのかが要ります
古墳ができたのは、
500年ごろ
言い伝えの貴人、
正仁明神は、
725年です
車を埋めたのなら、
200年ほどあとに
古墳を掘り返した
ことになります
その穴が
あるかどうかは、
土の層を見れば
分かります
その図が、
報告書にあるのね
はい。
載っているはずです。
私は、まだ見ていません
ここまでを
まとめると
古墳は昔からある。
『車を埋めた』は、
よくある型の話
場所は二つの候補。
1885年に出たのは、
古墳の時代の物
ただ、1968年の調査で、
江戸時代の
祭祀の道具も出てる
はい
ここまでが、
車神社の資料ね
じゃあこれ、
1698年のうつほ舟と
関係あるの
そこは、
まだ確かめていません
舟のことを車というか、
あるいは陸上搬送の
ために車輪をつけたか
その二つなら、現時点では
こう評価します
『舟そのものを
車と呼んだ』は、
かなり弱いです
古い言葉の『車』は、
車輪のある
乗り物のことです
『舟車(しゅうしゃ)』
という言葉もあります。
舟と車、という意味です
当時の言葉でも、
舟と車は、はっきり
別のものでした
じゃあ、舟を車に載せて
運んだ方は?
そちらは、
物としてはあり得ます
さっき考えた、
船室のある小さな舟
だったとします
浜に寄せて、
台車を入れて、
人や牛馬で
陸へ引き上げる
技術として、
何も不自然ではありません
古墳は川の河口の近く。
昔は、今より海が
近かった所です
ただ、言い伝えは
『車を埋めた処を
車塚という』としか
言いません
『舟を載せた車を埋めた』
とは、書いていません
史料の根拠は、
まだありません
空振りか
出た物の中に、
ビードロばりの舟に
関連しそうな埋葬物は?
一見、
いちばん怪しいのは、
赤いガラスの勾玉です
しかし、
これは明確に違います
勾玉は、身に着ける
小さな飾り。
窓のガラスではありません
時代も、古墳の時代。
1698年より、
1200年ほど前の物です
舟の形の品も、
舟の板も、
出ていません
びいどろの舟との、
物の上での接点は、
現在ゼロです
こっちも空振り
言い伝えどおりなら、
舟や車を埋めたのは
725年ごろ
探すのは、7世紀から
8世紀に掘った
穴になります
(725年ごろ……?
舟が着いたのって、
もっとあとじゃ……)
漂着したのは
1600年ではないの
はい。そこは私が、
二つの話を
混同していました
訂正します
記事では、舟が着いたのは
1698年5月。
1600年代の終わりです
社伝の725年と、
口碑の漂着
最初に自分で分けたのに、
そのあと混ぜていました
……どういうこと
事典の文に戻ります
『……創立という。
また口碑に……』
この『また』は
重要です
725年の創立と、
舟の言い伝えを、
別のこととして
並べています
『725年に貴人が
漂着した』とは、
どこにも書いていません
最初から、
画面に出てたのに
はい。出ていました
年を言うときは、
何の年かを付けます
725年は、社伝が言う、
神社の創立の年
1693年ごろは、
記録が写された年
1698年5月は、
記事が言う、
舟が着いた年月
1699年6月5日は、
日記を書いた日です
1693年と1698年、
近くない?
近いです。
どちらも1690年代です
ただ、写された年と、
記事が言う年。
種類の違う年どうしです
しかも残っているのは、
1738年に写し直された
本だけです
写すときに
手が入っていない、
とは言い切れません
車大明神の名が、
舟より前か後かは、
決められません
725年じゃないなら、
舟の話は、いつの話なの
言い伝えの舟の話には、
年がありません
ですから、
1698年の記録と、
並べて見ることができます
車神社の資料で、
舟が出てくるのは二つです
1935年の案内記。
『船』で来たのは神様。
フグに助けられて上陸
これは、
フグを食べない習慣と
『フグの森』の名を
説明する話です
『車を埋めたから車塚』
と、同じ型です
土地のことを
説明する話、
ってことね
はい。1698年の記録と
重なるのは
『舟で来た』だけです
1981年の事典。
『うつぼ舟』で
来たのは、貴人
1698年の記録の
『ウツホ舟』と、
同じ言葉です
上陸は、満潮の夕方。
妙に具体的です
こっちの方が、
似てる
はい。1698年の話に
似てくるのは、
1981年の形です
土地も近い。
神社のある植田と、
吉田浦。
どちらも今の豊橋です
ただ、ここには
大きな飛躍が
一つあります
1698年の舟と、車神社の
貴人を結ぶ史料は、
まだ見つかっていません
登場人物
からして違います
1698年の記録は、
女がひとり。車神社の
言い伝えは、貴人です
読めた車神社の資料に、
女も、男の首も、
びいどろの窓も
出てきません
似てるけど、
つなぐ証拠は、
まだ無い
はい。同じ出来事だとは、
証明されていません
じゃあ、掘るなら、
何を探すの
探す年代が、
まったく変わります
1698年の話が
関わるのなら、
探すのは古墳の時代の
品ではありません
17世紀の末に、
古墳を掘って
何かを埋めた跡です
17世紀の末って、
江戸時代よね
……さっきの
『近世祭祀用具』。
近世も、江戸時代
それ、そのころに
何か埋めたって
ことじゃないの
確かなことから
言います
古墳の時代の
物ではありません
江戸時代の
祭祀の道具が、
この古墳から出ています
地面の側で、
そう言える物は、
これだけです
じゃあ、やっぱり
分からない
こともあります
1690年ごろの
物かどうか。
埋めたのかどうか
古墳の上には
神社があります。
そこで使った道具が
残っただけかもしれません
確かめる所は、
1968年の調査の
報告書です
何が、どこから出たのか。
そこに載っているはずです
『近世祭祀用具』
が何なのかも、
そこで確かめられます
その報告書は、
まだ開いていません
開けば、分かるのね
はい
まとめるね
古墳とかは、
昔からある
でも、車神社の資料の
なかに、うつほ舟に
関わるものがある
うつぼ舟で来た貴人。
満潮の夕方
1698年の舟と
つながるかは、
まだ分からない
はい
ただ、
祀られたのは貴人
もし1698年の
舟の話なら——
貴人は、女?
それとも、
男の首?
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