第4話 『共に虚説也』と書いた日記


いやうつろ舟の話に
もどろう
もどろう
三河国のはなしが
事実とすると、漂着
したのは外国人の
女性だよね
事実とすると、漂着
したのは外国人の
女性だよね
長崎のはなしも
でてるし
でてるし
外国人の女性が
ひとりで漂着する
ストーリーとすると
ひとりで漂着する
ストーリーとすると
そうです。事実だった
と仮定すると、かなり
特徴的です
と仮定すると、かなり
特徴的です

女がひとり。
専用らしい舟。
食料。そして、
掲げられた男の首
専用らしい舟。
食料。そして、
掲げられた男の首
事故ではなく、
だれかが準備して
送り出した。そう
考えたくなります
だれかが準備して
送り出した。そう
考えたくなります
……だれが?

それは、まだ
分かりません
分かりません
まず、記録にある
ものを確かめます
ものを確かめます
1698年の
『改正甘露草』に
書いてあることは、
実は少ないです
『改正甘露草』に
書いてあることは、
実は少ないです
三河国吉田浦に
ウツホ舟。舟の先に
男の首。舟の中に
女がひとり
ウツホ舟。舟の先に
男の首。舟の中に
女がひとり

言葉が通じない。
長崎へ送った
長崎へ送った
本文には、女が
ひとり乗っていた、
とあります
ひとり乗っていた、
とあります
米などの食料も、
載せられていました
載せられていました

それだけなんだ
そして『長崎へ送った』
という部分です
という部分です
これは、女が長崎の
出身だった、という
意味ではありません
出身だった、という
意味ではありません
言葉の分からない
異国人を、どうするか。
その送り先が
長崎でした
異国人を、どうするか。
その送り先が
長崎でした
『長崎』という語から、
国籍は特定できません
国籍は特定できません

どこから来たかは、
分からないのね
分からないのね
地理から言えることは、
あります
あります
黒潮は、東シナ海から
四国沖、紀伊半島沖、
東海沖へ流れます
四国沖、紀伊半島沖、
東海沖へ流れます
南の海から三河へ
流れ着く道筋には、
自然さがあります
流れ着く道筋には、
自然さがあります

でも、ひとりなのが
変よね
変よね
はい。なぜ女が
ひとりだけなのか。
考えられる事情は
四つです
ひとりだけなのか。
考えられる事情は
四つです
一つ。難破した船の、
ただ一人の生き残り
ただ一人の生き残り
二つ。意図的な追放。
殺さずに、小舟と
食料を与えて
海へ流した
殺さずに、小舟と
食料を与えて
海へ流した
三つ。
海賊や争いの結果。
捕らえた女だけを、
小舟へ移した
海賊や争いの結果。
捕らえた女だけを、
小舟へ移した
四つ。本当は、
ただの外国人の
漂着だった
ただの外国人の
漂着だった

そこへ『女ひとり』
『首』『変わった舟』が、
話として付け加わった
『首』『変わった舟』が、
話として付け加わった
私なら現段階では、
四つ目を最も警戒します
四つ目を最も警戒します
どうして四つ目なの

なぜなら、翌年の
1699年に、
こういう資料が
あるからです
1699年に、
こういう資料が
あるからです
1699年。
吉田浦の、次の年
吉田浦の、次の年
尾張藩の武士、
朝日文左衛門の
日記です
朝日文左衛門の
日記です
『鸚鵡籠中記
(おうむろうちゅうき)』の、
1699年6月5日です
(おうむろうちゅうき)』の、
1699年6月5日です

ここからは
『1699年の日記』
と呼びます
『1699年の日記』
と呼びます
こう書いてあります。
このごろ、熱田の海に
このごろ、熱田の海に
空穂船(うつぼぶね)が、
伊勢の方から流れてきた
伊勢の方から流れてきた
窓があり、
びいどろが張ってある。
びいどろは、ガラスです
びいどろが張ってある。
びいどろは、ガラスです

中に、非常に美しい
宮女。宮殿に仕える、
身分のある女です
宮女。宮殿に仕える、
身分のある女です
そのそばに坊主の首。
大釘に貫いてある
大釘に貫いてある
釘……

食料は干菓子。
出航の日を書いた紙、
書付(かきつけ)もある
出航の日を書いた紙、
書付(かきつけ)もある
書付には、
100日たてば、
どこで取り上げてもよい、と
100日たてば、
どこで取り上げてもよい、と
一年で、ずいぶん
増えてる
増えてる

並べます
1698年の記録に
無いものが、
五つあります
無いものが、
五つあります
びいどろの窓、宮女、
大釘、書付、
100日です
大釘、書付、
100日です

そして何より
重要なのが末尾です
重要なのが末尾です
朝日文左衛門は、
最後にこう書いています
最後にこう書いています
『共に虚説也』
きょせつ?

『虚説』は、うその話。
『どれも作り話だ』
という意味です
『どれも作り話だ』
という意味です
ほかの国でも噂に
なっている。皆が
まるで見てきた
ように話す
なっている。皆が
まるで見てきた
ように話す
そういう趣旨まで、
書き添えています
書き添えています
『虚説なり』
『見てきたように話す』
……ということは
『見てきたように話す』
……ということは

これ、伝聞の記録だよね。
人から聞いた話を
書いた、ってこと
人から聞いた話を
書いた、ってこと
当時、そう証言して
いた人がいた、
という記録
いた人がいた、
という記録
書いた人は、
信じなかっただけ
信じなかっただけ

はい。そこは分けて
読めます
読めます
この日記から
確かに言えるのは、
そう話す人たちが
いたことです
確かに言えるのは、
そう話す人たちが
いたことです
その人たちが自分の
目で見たのかは、
分かりません
目で見たのかは、
分かりません
ただ、作り話だと
決まったわけでも
ありません
決まったわけでも
ありません

でも、これは熱田の話
だよね。吉田浦じゃない
だよね。吉田浦じゃない
はい。場所が違います
熱田は、今の名古屋。
吉田浦は、今の豊橋です
吉田浦は、今の豊橋です
時期も違います。
吉田浦は、
1698年の5月
吉田浦は、
1698年の5月
日記は翌年の6月で、
『このごろ』のこと
として書いています
『このごろ』のこと
として書いています

同じ舟の話と見て
よいのか。そこは、
確かめないと
いけません
よいのか。そこは、
確かめないと
いけません
手がかりが
一つあります。
1699年の日記には、
結末がありません
一つあります。
1699年の日記には、
結末がありません
舟がそのあと
どうなったか。
女がどうなったか。
書いていないのです
どうなったか。
女がどうなったか。
書いていないのです
結末が無いなら……
熱田に先に着いて
熱田に先に着いて
そのあと、吉田浦へ
流れ着いたのかも
流れ着いたのかも

書付には
『100日たてば
取り上げてよい』
とありました
『100日たてば
取り上げてよい』
とありました
つまり、それまでは、
だれも取り上げない。
舟は見送られます
だれも取り上げない。
舟は見送られます
熱田で見送られた、
という読みに合います
という読みに合います
ただ、時期は
合いません
合いません

一年前の話が
『このごろ』の
こととして
語られていた
ことになります
『このごろ』の
こととして
語られていた
ことになります
あるいは、もともと
吉田浦の話だったのに
吉田浦の話だったのに
話す人たちが、
場所を熱田と取り違えた
場所を熱田と取り違えた
その場合、証言は
いい加減だった、
ということになります
いい加減だった、
ということになります

どっちにしても、
どこかがいい加減なのね
どこかがいい加減なのね
確かめる道は
あります。
本当に長崎へ
送ったのなら、
記録が残るはずです
あります。
本当に長崎へ
送ったのなら、
記録が残るはずです
その長崎側の記録は、
現時点では
見つけられていません
現時点では
見つけられていません

まだ完全には信用
できないけど
できないけど
仮に、
これらの証言が
本当だとするなら、
で考えてみよう
これらの証言が
本当だとするなら、
で考えてみよう
分かりました。仮に、
真として立ててみます
真として立ててみます

そうね
坊主の生首を釘で
打ち付けはかなり
シチュエーションを
限定するね
打ち付けはかなり
シチュエーションを
限定するね
あとビードロの窓も、
樽とか丸木舟ではない
樽とか丸木舟ではない
そうです。ここまで
絞ると、人を樽や
丸木舟に入れて流す
絞ると、人を樽や
丸木舟に入れて流す

一般的な話からは、
かなり離れてきます
かなり離れてきます
作り話にしては、
異様に具体的です
異様に具体的です
まず一つだけ厳密に
訂正します
訂正します
原文は
『其側に坊主の首、
大釘に貫て有』です
『其側に坊主の首、
大釘に貫て有』です
『舟に釘で
打ち付けてあった』
とまでは書いていません
打ち付けてあった』
とまでは書いていません

女のそばに、
太い釘を貫かれた
首があった。
そこまでです
太い釘を貫かれた
首があった。
そこまでです
打ち付けた、は
言い過ぎか
言い過ぎか
では、
びいどろの窓からです
びいどろの窓からです

原文は『窓有
びいどろにて張之』。
窓があり、ガラスが
張ってある
びいどろにて張之』。
窓があり、ガラスが
張ってある
丸木舟ではありません。
樽でもない。
屋根の無い小舟でもない
樽でもない。
屋根の無い小舟でもない
人が中に入る、
船室のような空間の
ある舟です
船室のような空間の
ある舟です

17世紀の
オランダの船には、
船室の窓が
普通にありました
オランダの船には、
船室の窓が
普通にありました
外国の船に
ガラスの窓がある。
それ自体は、
不自然では
ありません
ガラスの窓がある。
それ自体は、
不自然では
ありません
首は?

1698年の記録では、
舟の先に
さらされています
舟の先に
さらされています
1699年の日記では、
大釘を
貫かれています
大釘を
貫かれています
どちらも、ただ
載っているのでは
ありません
載っているのでは
ありません
意図的に、見える形で
処理されています
処理されています

つまり、
見せるための首です
見せるための首です
見せるって、だれに
舟を見つけた人に、です

首は、この女がなぜ
海に流されたのかを
示す『罪の証拠』です
海に流されたのかを
示す『罪の証拠』です
男は処刑。女は、
身分が高いなどの
理由で、直接は殺せない
身分が高いなどの
理由で、直接は殺せない
男の首を、
女の罪を示す
しるしとして付ける
女の罪を示す
しるしとして付ける
そして食料と閉じた
舟を与えて、海へ流す
舟を与えて、海へ流す

書付と100日は?
『100日たてば、
どこで取り上げ
てもよい』
どこで取り上げ
てもよい』
本当なら、一定の
期間だけ運命に
任せる刑、と読めます
期間だけ運命に
任せる刑、と読めます
ところが、この一文が
いちばん怪しい
いちばん怪しい
外国語の書付を、
だれが読めたのか、です
だれが読めたのか、です

外国の宮女の舟に
あった書付です。
日記には、
その説明がありません
あった書付です。
日記には、
その説明がありません
たしかに
本当だとすると……
身分のある女が、
罪で、殺されずに
流された
身分のある女が、
罪で、殺されずに
流された
首は、その罪の
しるし。舟は、
びいどろの窓の
ある閉じた舟
しるし。舟は、
びいどろの窓の
ある閉じた舟

はい。
仮に真とするなら、です
仮に真とするなら、です
そうね
海外の記録で
似たエピソードや
慣習があるか
似たエピソードや
慣習があるか
この仮説みたいな
ことが、本当に
起きうるのか、
確かめたい
ことが、本当に
起きうるのか、
確かめたい

分かりました。
その時代に、実際に
起きうるのか
その時代に、実際に
起きうるのか
海外の刑や風習で、
確かめます
確かめます
まず、女を殺さずに、
食料を持たせた小舟で
海へ流すこと
食料を持たせた小舟で
海へ流すこと
これは、実際の刑として
確認できます
確認できます
さっきの、
697年のアイルランドの法です
697年のアイルランドの法です

重い罪を犯した女を、
男なら死刑にあたる所を
男なら死刑にあたる所を
櫂(かい)が
一本だけの舟に乗せて、
沖へ引いていき、
風に任せる
一本だけの舟に乗せて、
沖へ引いていき、
風に任せる
しかも、
粥(かゆ)の入った器を
一つ与えます
粥(かゆ)の入った器を
一つ与えます

食べ物まで持たせるんだ
1698年の記録と並べます。
女。殺さない。舟。
食料。あとは運任せ
女。殺さない。舟。
食料。あとは運任せ
そっくり
アイルランドだけでは
ありません
ありません

中世のヨーロッパでは、
死刑にできない
事情のある者を
死刑にできない
事情のある者を
操れない舟に乗せて
流すやり方が、広く
行われていました
流すやり方が、広く
行われていました
刑として、本当に
あったのね
あったのね

次に、首です。
殺した男の首を、
女に見せ続ける罰
殺した男の首を、
女に見せ続ける罰
これは、中世の物語
には出てきます
には出てきます
中世アイスランドの
物語では、
王が王妃の愛人を殺し
物語では、
王が王妃の愛人を殺し
首を保存して、
王妃の前へくり返し
持って来させます
王妃の前へくり返し
持って来させます
別の中世の物語には、
愛人の首を載せた皿を、
王妃の前に置く結末がある
愛人の首を載せた皿を、
王妃の前に置く結末がある
ただ、実際の刑としては、
まだ見つけられて
いません
まだ見つけられて
いません

びいどろの窓の舟は?
それだけは、
見つかりません
見つかりません
小舟、革の舟、
舵のない舟、
食料までは、
たくさん出てきます
舵のない舟、
食料までは、
たくさん出てきます
でも、
ガラスの窓のある
刑の舟は、
確認できませんでした
ガラスの窓のある
刑の舟は、
確認できませんでした

本当に見た人が
いたのなら、
刑のための小舟ではなく
いたのなら、
刑のための小舟ではなく
外国の船の、
船室のある舟を
見たことになります
船室のある舟を
見たことになります
女を舟で流す刑は、
本当にあった
本当にあった
首を見せる罰は、
物語の中だけ。
びいどろの窓の舟は、無い
物語の中だけ。
びいどろの窓の舟は、無い
はい

そこそこのヨット
だった可能性も
あるのでは
だった可能性も
あるのでは
はい。その可能性は、
かなり真面目に
考えてよいと思います
かなり真面目に
考えてよいと思います
びいどろの窓を
文字どおり取るなら、
樽や丸木舟より
文字どおり取るなら、
樽や丸木舟より
船室のある小さな
帆船の方が、舟の
作りとして自然です
帆船の方が、舟の
作りとして自然です

ただ、17世紀の
ヨットは、今の
レジャー用のヨット
とは違います
ヨットは、今の
レジャー用のヨット
とは違います
オランダ語でヤハト。
もとは『速い船』。
帆で走る小ぶりの船です
もとは『速い船』。
帆で走る小ぶりの船です
連絡や交易に使われ、
日本の出島にも
来ていました
日本の出島にも
来ていました

日本にも来てたんだ
仮に、船室と窓のある
小さな船だったとします
小さな船だったとします
浜の人が見れば、
和船とは形が違う。
屋根があって、中が空洞
和船とは形が違う。
屋根があって、中が空洞
窓は透明なびいどろ。
中に、言葉の
通じない女
中に、言葉の
通じない女

『中が空洞の
異国の舟』。
つまり、ウツホ舟です
異国の舟』。
つまり、ウツホ舟です
うつほ舟……
中が空洞の舟
中が空洞の舟
ただし、問題になるのが
『ひとり』です
『ひとり』です

大きなヤハトなら、
ふつうは
数十人が乗ります
ふつうは
数十人が乗ります
なので、もっと
小さい、船室のある
帆船を考えます
小さい、船室のある
帆船を考えます
あるいは、嵐で
帆や舵を失い、
ほかの人がいなくなった
船です
帆や舵を失い、
ほかの人がいなくなった
船です

それなら、
ひとりになるか
ひとりになるか
舟についての仮説は、
三つに分けて置きます
三つに分けて置きます
一つ。樽や丸木舟。
びいどろの窓が
本当なら、
かなり苦しい
びいどろの窓が
本当なら、
かなり苦しい

二つ。箱のような、
刑のための舟。
そういう舟が
見つかりません
刑のための舟。
そういう舟が
見つかりません
三つ。船室のある
小さな外国の船。
当時の技術で
説明できます
小さな外国の船。
当時の技術で
説明できます
ただし、
なぜ女がひとりで、
首があるのかは、
残ります
なぜ女がひとりで、
首があるのかは、
残ります
船室のある、小さな
外国の船、か
外国の船、か

そして、
1698年と1699年は、
混ぜない方がいいです
1698年と1699年は、
混ぜない方がいいです
同じ舟の話だと、
決まったわけでは
ありません
決まったわけでは
ありません
1698年の記録に
あるのは、ウツホ舟、
女がひとり、食料
あるのは、ウツホ舟、
女がひとり、食料
男の首、
言葉が通じない、
長崎へ送る。
ここまでです
言葉が通じない、
長崎へ送る。
ここまでです
びいどろの窓が
出てくるのは、
翌年の熱田の話です
出てくるのは、
翌年の熱田の話です
しかも、書いた本人が
『虚説』としています
『虚説』としています

記録は記録、噂は噂
仮説の穴は、書付を
だれが読めたのかと、
なぜひとりか
だれが読めたのかと、
なぜひとりか
はい。ですから
1698年の実物に
本当にびいどろの窓が
あったとは、
まだ言えません
本当にびいどろの窓が
あったとは、
まだ言えません

車神社の
言い伝えでは、
埋められたのは
貴人って
言ってたよね
言い伝えでは、
埋められたのは
貴人って
言ってたよね
埋められたとされるのは
『貴人』ではなく
『車』です
『貴人』ではなく
『車』です
え?

