Yyatmita

第2話 車神社に来た貴人と、フグ

ねえ、クロコ。
きのうの車神社
舟で来た人が神様に
なった、あの
言い伝え。結局、何なの
はい。それと、
きのうの私の説明は
少し雑でした
まず、あの話の出典です
平凡社の『日本歴史
地名大系』。
1981年に出た、
地名の事典です
ここからは
『1981年の事典』
と呼びます
この事典は、二つの
ことを別々に
書いています
一つは社伝。神社が
伝える由来で、
『725年の創立』
もう一つは口碑。
土地の言い伝えで、
舟の話はこちらです
きのう私は
『言い伝えでは
725年』と、二つを
混ぜて言いました
創立の年と、
舟の話は、別なのね
はい。『725年に
舟が着いて神社が
できた』とは、
言えません
では、舟の
言い伝えは何なのか
どの資料に、何と
書いてあるか。
並べれば見えてきます
そうね
それを追おう
追ってみました。
まず、資料として
何があるかです
車神社について
書いた資料を、
年表に置きます
1693年ごろから
1992年まで。
見つかったのは、
六つです
1905年は、
古墳を調べた報告
1923年は
『渥美郡史』。郡の
歴史の本です
この二つは、中身を
まだ読めていません
読めたのは、残りの
四つです
古いのは一つだけで、
あとは新しいのね
中身を読むと、
かなり重要なことが
分かりました
1992年の名鑑は、
あとで開きます。
まず、1981年の事典
口碑は、こうです。
満潮の夕方、貴人、
正仁明神が
うつぼ舟に乗って、
この地に上陸した
貴人は、少し離れた
所に、しばらく
留まった
のちの人が、その
貴人の霊を祀って
『車大明神』と呼んだ
きのうお話ししたのは、
この形です
その前は、
どう書いてあるの
ここから、46年
さかのぼります
豊橋の郷土史家、
豊田珍彦の
『東三河道中記』
1935年に出た、
豊橋とその近くの
案内記です
この『1935年の
案内記』には、
こうあります
『此社の神様は
昔船で来られましたが』
『上陸の時暴風雨の
為に船が転覆したのを』
『フグに救けられて
無事上陸された』
へえ、フグ
そのため村人は
フグを食べない習慣が
ある、と続きます
その場所は『フグの森』
と呼ばれていた、
ともあります
もっと前は?
さらに、242年
さかのぼります
『三州吉田領神社
仏閣記』。吉田領の
神社と寺を書き上げ
た記録です
できたのは元禄6年、
1693年ごろ。
『1693年の記録』
と呼びます
車神社のある西植田村
について、書いてある
のはこれだけです
『車大明神、祢宜
多郎左衛門』
神社の名と、神主
の名です
舟は?
ありません。舟も、
貴人も、725年も、
出てきません
ここまでの三つを、
並べます
舟の書き方は、
『無い』『船』
『うつぼ舟』と変わります
舟で来たのがだれかも、
違います。フグが出る
のは、案内記だけです
同じ神社の話なのに、
資料ごとに中身が違う
はい。年表に、
1698年を置い
てみます
吉田浦に舟が着いた
とされる年です
舟の話が無い
1693年の記録の、
5年あと
神社の資料に『船』
が出る1935年
より、237年前です
『725年から、
一つの完成された
伝説がそのまま
伝わってきた』
そういうイメージは、
まず捨てた方がいいです
話の要素が、時代と
ともに付け加わったり
組み替えられたり
した可能性が高いです
じゃあ、
1698年の舟とは、
どうつながるの
最初は、こう
考えました
神社の古い『うつぼ舟』
の話が先で、
1698年の舟があと
この見方は、
いったん評価を
下げるべきです
逆かもしれません
1698年の
『ウツホ舟』の話が、
あとから神社の話に
混ざった
これは、現段階では
推測です
舟の話は、神社の方が
あとかもしれないんだ
言えるのは、
ここまでです
舟の話が1935年に
初めて書かれた、
と決まったわけでは
ありません
私が中身を読めた
資料の中で、
いちばん古い、
というだけです
まだ読めていない
1905年と
1923年の資料
しだいで、変わります
さっきの六つとは
別に、種類の違う
資料があります
愛知県の文化財の記録、
『車神社古墳出土品』です
言い伝えではなく、
古墳そのものの記録です
神社は、前方後円墳
の上に建っています
古墳というと400年
から前ってイメージだけど
そのイメージは少し
早いです
古墳は、3世紀から
7世紀まで造られ
ました。400年
より後も続きます
この古墳は、5世紀の
後半から6世紀の前半。
450年から
550年ごろです
神社の『725年創立』
より、150年から
250年ほど古い
層になっています
いちばん下に、
500年ごろの古墳
その上に、725年
の創立という神社
その上に、舟で来た
神の話。資料に出る
のは1935年からです
墓の上に、神社。
その上に、話
古墳には、名前が
あります。『車塚』です
1935年の案内記は、
こう書いています
『神社の名はこの
古墳の俗称車塚から
来たものでありませう』
古墳の名が先です。
『車塚』があって、
そこから『車神社』
神社の名前は、
古墳からもらったのね
ところが、もっと
新しい資料は、
逆向きに書きます
『愛知県神社名鑑』。
1992年に出た、
県内の神社の名鑑です
『車を埋めた処を
車塚という』
こちらは、神様が
先です。祀られた
貴人の車を埋めた
から、『車塚』
どちらの名前が先か。
二つの資料で、
向きが逆です
古墳が車塚なら、
うつほ舟と車は関係
なさそうだけど
貴人は車大明神と
されてる
そうです。そこは
重要な整理点です
『うつぼ舟』と『車』
は、もとは別の要素
だった可能性があります
『車塚』『車大明神』
という名前が、
先にあった
『車を埋めた』という
話は、その名前を
説明するために、
あとから付いた
これが、今のところ
有力な読み方です
車神社の舟の
言い伝えは、一つの
古い話ではありません
舟で来た神の話と、
車の名前を説明する話。
別々の話が
重なっています
資料をたどると、
そう見えます
そうすると埋めた車が
でるかどうかやね
シュリーマンみたいに
そうです。言い伝え
を信じて掘った、
シュリーマンのように
『車を埋めた』とまで
書いてあるなら、
掘れば確かめられます
古墳は、全部が
調べられたわけでは
ありません
1885年に一部を
削ったとき、馬具や
勾玉や大刀が出ました
本殿の下がどう
なっているかは、
分かっていません
……ただし、勝手に
スコップを持って
行くのは駄目です
行かないって
掘るには届け出が
要ります。まずは、
壊さない調査からです
地中レーダーなどで、
土の中を外から調べます
もし本当に
車を埋めたのなら、
予測が三つ立ちます
一つ。古墳のもとの
埋葬とは別に、あと
から掘った穴がある
伝承上の正仁明神は
725年ですから
二つ。その穴は、古墳
ができて150年から
250年たってから
掘られている
三つ。車の部品か、
大きな木の品の
跡が見つかる
三つとも出れば、
驚くべきことになります
出なかったら?
『車を埋めた』は、
あとから付いた話の
可能性が高まります
ここまで来ると、
単なる怪談研究ではなく
ちゃんとした
検証可能な郷土史・
考古学の研究テーマに
なっています
車の言葉のほかに
気になってるのは
うつろ、うつほ、
うつぼという
微妙にちがう言葉
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